公園計画は、昭和15年の紀元2600年記念の大緑地計画までさかのぼります。しかし太平洋戦争が始まり、計画は変更され、陸軍の「成増飛行場」が建設されました。戦後グラントハイツとして米軍の管理下にありましたが、昭和48年に返還が完了し、総面積の約1/3が公園として確保されました。昭和56年から一斉に周辺の整備が開始され、小、中、高校が15校、公団、公社、都営住宅12000戸、都内有数の大団地となりました。
光が丘駅と公園を結ぶ「ふれあいの径」とけやき広場を挟んだ園内にイチョウ並木があり、晩秋には道が黄金色に染まります。
住所:練馬区光が丘二・四丁目、旭町二丁目、板橋区赤塚新町三丁目
東京都公園協会による光が丘公園公式サイト
公園に設置されている防災施設
光が丘公園の防災施設マップ